長命草のふるさと 与那国島へ行きました 第8回

では続きです。
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もともと与那国島では国策でさとうきびが作られており、昔はそれを生産する方が多かったそうです。
(今は長命草と半々のところまできたそうです)
以前の杉本さんは海運関係のお仕事をしていていました。
ある日とある研究機関の調べで沖縄の離島で、岩場に咲くこの野草はとても生命力が強くて、そのぶん栄養価が高いのではないか?と研究され立証されました。
そこで資生堂の美容食品担当者が、杉本氏のお父さんのところにもっとこの植物を生産できないかな?という話をもってきました。
しかしお父さんは高齢のため息子の杉本氏がやってみては?という話になりました。
最初は嫌だよ~と思っていたそうです[emoji:e-258]
それからしばらく資生堂の担当者は何を話す事も無く、1ヶ月に1度遊びに来るようになりました。
「なんでこの人毎月来るんだろうか?」と不思議に思ってたくらいに・・・
でもなんだかんだで気があったんでしょうねー。
この与那国島を長命草という奇跡を起こすかもしれない植物で変えれるかも知れない。
自分がその中心でやれるのはやりがいもあるんじゃないか?とだんだん心変わりしていき、
プロジェクトを真剣に考え始めたのが、資生堂と杉本氏のスタートだったそうです。
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その後、この長命草(ボタンボウフウ)という植物がとんでもなく高い栄養を蓄えている事が広く伝わり、いろいろな会社がこの与那国島にくるようになったそうです。
その時何社もの担当者が契約の話を持ってきたんだそうです。
各社「安全面を犠牲にしても安い経費で作って欲しい」、「質より量を作って欲しい」と言われたり「ここより高く契約しますよ」と、いろいろ好条件を出してきたそうですが杉本氏自身は自分の作りたいものを分かってくれてる人としか仕事はしたくないと断って、大手で杉本産を扱えるのは資生堂だけとなりました。
そして杉本氏が作りたい長命草は、自然に近い野生のような環境で1株食べれば寿命が1日伸びる植物なら、本当に1株まるまる食べれるようなものだけを作る!という考え方で試行錯誤しながら生産を開始しました。

それが原因であるトラブルになる事になるのですが、字数がきつくなってきたのでまた続く・・・

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